応援歌「豊多摩健児我等」

豊多摩にまつわるホント、逸話、うわさ話を硬軟とりまぜてお見せするコーナー「豊多摩なんでも堂」。みなさんからの情報もお待ちしております。

その昔、豊多摩に勇壮な応援歌があった。それは生徒自身が作詞作曲した応援歌。06年の東京校歌祭、吹奏楽部OB会の演奏で日比谷公会堂の舞台で蘇り、その後、母校でも数十年ぶりに復活。

作詞作曲をされた10期石田氏の了解を得ましたので、動画を再生頂ければ懐かしいメロディをお聴きいただけます。

※音声圧縮の関係で一部音声に歪みのある部分もございます。ご容赦ください。

11期 矢島

  • これを作った当時は、ホームページを通じて、応援歌が聴けるなんて想像もしませんでした。ご尽力頂いた皆様に感謝です。青春を取り戻すエネルギーとして活用していただければ、何よりも幸せです。(石田幸久)
  • いやあ、驚きました!昨日(2008.2.14)、石田さんにお会いして、母校の応援歌を作詞作曲した事などすっかり忘れていたのに、50年ぶりに思い出させて頂き感謝以外の何ものでもありませんでしたというお話をお聞きし、私も嬉しくなってしまい、早速、インターネットで調べた次第です。石田さん、今年は何か大変良いことが起きる前兆だと思いますよ。(ちなみに私は石田さんの単なるゴルフ、飲み友達です)(藤田訓弘)

豊多摩の校章

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校章「豊多摩の校章は「山桜に旭日」をあしらったものです。校歌祭で日比谷高校OBが自校の校章を「明治x年に制定」と誇っていたのを聞いたことがありますが、豊多摩の校章はその組み合わせを逆にしたものです。なお、画像は昭和32年まであったとされる七宝焼き校章。豊多摩の校章は色つきでした!また、同窓会名簿をご覧ください。手書きで精緻に描かれた校章、OBで豊多摩教員だった原さんの作品です。(11期 矢島)

「校章」について、みなさんからもいろいろな情報を寄せていただきました。

  • この七宝の校章は男子は襟に、女子は胸に付ける徽章だったのです。遠くからも目立つので他の学校の連中からうらやましがられたものでした。しかし、昭和32年突然何の説明も無くこの徽章は廃止となり、男子の帽章と同じいぶし銀に金色の高の字のものに変えられたのでした。七宝の方は夜間部の徽章になるとか聞いたような気がしますが、はっきりしません。七宝の徽章がいつ頃、誰のデザインで制定されたのかお分かりの方はこの欄に投稿して頂きたいと思います。(山崎 彰)
  • 十三中が一中(日比谷)の敷地にあった関係でこのような経緯になったらしいと聞いたよ。(衛生兵)
  • 日比谷高校と逆のデザインで、日比谷は外が旭日で内が桜です。制服はありませんでしたが、1番便利な学生服を着ていました。下にパジャマを着ていてもわかりませんからね。(21期 青)
  • 襟章。ちなみに学級委員の級長は、茶色の七宝焼きで一般は空色でした。(高3期羽山)
  • 高6期です。不肖私は3年B組の級長に任命されました。その際、デザインは同じですが、青色のところがオレンジ色の校章をいただきました。これを制服の襟につけていると、ちょっと悪いことができない気がしたものです。(宮下 洋)
  • 今、思い出しましたが、同じデザインの、帽子につける「帽章」もあって、これは七宝ではありませんでした。「校章」「級長校章」「帽章」の3点セットを今でも大事に持っています。(宮下 洋)
  • 七宝焼きの徽章があったなんて羨ましいです。今の豊多摩は徽章どころか都立高校でも珍しく、標準服もありません。徽章や制服についてもご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えてください!(55期 藤井)
  • 私が現役の頃はいぶし銀というか真鍮色のバッヂだったと思います。手元にはもうないのでどんな感じだったか思い出せませんが。ステキな校章、今欲しいくらいです。(36期嶋林)
  • 真ちゅう製のバッチ世代でした。先輩がバッチの台座部分を削ってZIPPOに貼り付けていたのが記憶にあります。印籠みたいに。なんで高校生がライター持ち歩くかというと・・・(以下省略)(36期 高橋)

みなさんからの情報もお待ちしております!

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