豊多摩応援の絆「豊多摩PTAOB会総会」

oyaji20131211月2日吉祥寺で開かれた豊多摩PTAOB会の総会に招かれ、初参加した。この会は歴代の校長、教頭先生方を囲む集まりとして何と26年も続いているそうだ。

この日現職の先生方はあいにくご都合悪く欠席されたが、小堺、渡邉、起田の三先生をはじめ、OB会長と役員、現役PTAと「おやじの会」の 会長、同窓会藤井理事長、それに母校美化が縁となった園芸部OB会・どんこう会の面々など多彩な顔ふれ。なかでも渡邉先生は府立第二十中・都立武蔵丘高校の同窓会長をなさっており、同校の校歌祭 参加も是非ご検討頂きたいところだ。

報告事項など型どおりの総会に続き懇親会へ。元気のいい親父がいると思ったら同年輩だったりして、お母さん方もそれなりに飲まれていた。これを機会に豊多摩応援団としての絆を強めていきたいものだ。

ところでPTAと校歌は深い縁がある。

豊多摩の校歌祭推進役だった高3期故伊藤氏のご母堂も、当時の熱心な教育ママで校歌制定にも奔走され、母校近くにお住まいだった金田一耕介氏に作詞を何度も依頼されたそうだ。

昨今では母校のビッグイベントのひとつで校歌が課題曲になっている「合唱コンクール」で、わが子の煌びやかなステージ衣装を縫い上げるのが恒例になっている。来年11/1 杉並公会堂での校歌祭にはPTAとしても 参加を検討されることになったが、 同窓生諸君、保護者の方々にーなかには相当なご高齢の方もおられようがーPTAOB会が立派に継続していることを伝えて欲しい。そして親子で校歌祭参加へ!新しい親子関係が生まれるかも。

隣を見ていろいろ考えた「西高の夕べ」

11月24日「西高の夕べ」が杉並公会堂で開かれた。

これまで同所やセシオンでやっていたが、参加したのは初めて。来年の校歌祭が11/1 同所で開催されるので、二次会場も含めた下見を兼ねて,各校担当者と共に誘われたため。

このイベントは主催一般財団法人「西高会」。杉並区教育委と同校同窓会の後援で回を重ねて第20回。
地域との結びつきを強調して、毎回同窓生の講演とOB吹奏楽団の演奏で構成。

この回は日本サッカー協会小倉名誉会長がなでしこ優勝のビデオを交えながらのトーク。続いて「杉並から世界へ」と題したOBの演奏は世界へも影響を与え、杉並にゆかりがあるとした4曲。「ガンダム」は制作会社が上井草に。「ザラストエンペラー」は嵯峨侯爵邸跡地が杉並郷土博物館。公会堂予約が断然有利になる教育委後援を維持するためか、やや苦しげなこじ付けも。なかでも「ハウルの動く城・世界の約束」では宮崎駿監督は小学校の途中から永福町に住み、作詞を手掛けた谷川俊太郎氏は杉並で生まれ育ったと紹介されたが、豊多摩同窓生の「ト」の字もなかった。

ところで「西高会」はPTAと同窓会を主体として50余年前に財団を設立、3階建ての会館を所有。放課後19時半まで食堂を自習室として解放したり、クラブ活動の夏季合宿施設や地域住民にも利用されている。

はるか昔、わが同窓会にも母校隣接地の購入話があったそうだ。今では考えられない超安値、しかも当方基金はしっかり蓄えたまま。伝統的に”石橋をさすりながら渡らない”豊多摩同窓会としては当然のごとく見送りに。無論不動産維持管理は大変な手間で、山小屋を建設したばかりに苦労の絶えない学校がある一方、バブルの頃に売却して大儲けをし、現役の海外留学を後押ししている同窓会もある。西高同窓会では毎年25名の後輩たちに奨学金を支給しているそうだ。

校歌祭の参加人数と、この同窓会HPだけは西高を上回っていると自画自賛しているが、豊多摩応援団頑張ろう!

南阿佐ヶ谷から歩いてみた

推奨ルート
推奨ルート
10月最終日曜日は恒例の同窓会総会。よし行くぞと、ネットで自宅からのルート検索をすると予想もしなかったルート、丸ノ内線南阿佐ヶ谷から歩けとのご信託がでました。バスで五日市営業所で降りるわけでも、井の頭線の浜田山から歩くのでもなくです。在校中も卒業後も一度たりとも使ったこともないルートです。おそるべしIT、このルートが合理的と言うんだね。杉並高校の脇を通り、善福寺川に沿って進めば良いということで、全く土地勘がないわけでもないので、おぼろげながら在学中に徘徊した記憶を頼りに進んでみることにしました。

都営住宅跡
都営住宅跡
南阿佐ヶ谷から住宅街に入り、若干方向感覚を失いつつ(道に迷った)進むと、目の前に大きな開発中の場所に出ました。ここはと、手元の地図を見ると都営住宅街あった場所。すこし小洒落た味のある集合住宅があった場所ではないですか。現在、再開発が始まり、給水塔を残し、かつてを偲ぶものはすでにありません。

すてきなすてきな杉並高校
すてきなすてきな杉並高校
少しおセンチな気分になりながら、進むと目の前は都立杉並高校です。手前のテニスのクレーコートがなんだか私立校みたいに豪華だと思いましたが、もしかすると全ての都立高校でクレーコートはすでに標準設備なんでしょうか。時代は平成ですから。

善福寺川公園
善福寺川公園
その先には善福寺川とそれに寄り添うように広がる公園群が広がっています。うぅーん、ここは変わっているのか、変わっていないのか、よくわかりません。ただ、川を覗くと水草がほとんどないのが気になりました。確か、昔は水草が茂り、大きなコイがのったりと泳いでいたような。(正直な話、下水道の整備がなされ河川改良を行った我が地元の石神井川のほうが自然の豊かさを感じられます。住宅街の中を進む流れには小魚が泳ぎ、それを狙ってカワセミやカワウがフツーにみれるのですから。この数十年ですごい変化ですよ、石神井川。)

すてきな公園
すてきな公園
緑とその木陰が多少深くなったかなとは思いますが、さして変化を実感できなかった善福寺川公園を進むと、お、小洒落た遊具のある森の中の公園が目の前に。森の中の公園!さすが杉並の高級住宅街!

昭和のあの広場!
昭和のあの広場!
と、その目の先にはなにやら見慣れた広場。そうここは放課後に草野球をやったあの広場じゃないですか。高級住宅街の公園の横には昭和のあの広場はまだあった。確かにここは自分たちのテリトリーだった場所だよ!なつかしい!

成田西いこい緑地?
成田西いこい緑地?
さて、ひとり感動をしましたが、20歩進んですぐに夢から覚めました。いこい緑地。公園に隣接していた旧家は、おそらく相続の過程で都なり杉並区に物納されたのでしょう。コジュケイが鳴いた農家の納屋を囲む深い木立は、犯罪抑制や害虫駆除を名目に下草をきれいに整理され、いこいとは程遠い雑木林でした。

自動車が多くて危なっかしい五日市街道
自動車が多くて危なっかしい五日市街道
そこから少し坂を進むと、かつての細く曲がりくねった五日市街道はもうそこにはなく、信号待ちして渡らなければ危なっかしい立派な国道が通っていました。

同窓生、恩師の著書紹介

booklog豊多摩リンクスでは、同窓生、恩師の著書をブクログというネットサービスを使って一覧にまとめています。同窓生は様々な分野で活躍していますから、理系文系、フィクション、ノンフィクション、様々なカテゴリーの著作物が80冊以上。もしかすると、同期の人が書いた本があるかも。

まだリストに入っていない本もあると思います。お気づきの時は豊多摩リンクススタッフまでお知らせください。

http://booklog.jp/users/toyotamabook

リンクス、どのくらいみられているの?

お気づきかもしれませんが、豊多摩リンクスは3月半ばにプチリニューアルをしました。直近の記事を見やすく、同窓生が探したい情報を見つけやすく、まだまだ不完全ですが、少しの改善をしました。

そんな豊多摩リンクスをどれだけの人がみてくれているのでしょうか。4月が終わったところで、ここまでの状況をご報告いたします。アクセス数グラフ

4月の閲覧数 2,932(一日あたり平均98)

上記は、ひとりの方が複数回、あるいは複数のページを見た場合もそれぞれにカウントした数字です。重複するアクセスを省くと訪問者数は一ヶ月で約500人でした。随時更新しているサイトなので、ひとりの方に気が向いたら何度もアクセスして頂きたいので、指標としては閲覧数を重視していきたいと思います。

日別アクセス数曜日別にアクセス数に違いがあるかなぁ、違いがあるならば更新する目標日を決めようかとも思いましたが、平日、休日でも大きな差がありません。学生から社会人、多様なスタイルのひとがいらっしゃるからなのでしょうか。

校名の由来と校歌が出来た経緯

豊多摩高校は昭和15年府立第13中学校として府立第1中学校(現日比谷高校)内に併設され発足、昭和17年現在の地に新校舎が落成し、誕生しました。昭和24年ナンバースクール制が廃止された折に校名を豊多摩と制定したのですが、明治時代に現在の杉並、中野、渋谷区の全域と新宿、世田谷区の一部が含まれる広大な地域を豊多摩郡と称していたことに因んで命名されました。 (豊多摩50年史より)

image昭和25年、創立10周年を迎えるに当たって、それまで校歌として認知された曲はなかったのでこの機会に校歌を作ろうとの機運が教職員、生徒、父兄の間で盛り上がり、作詞を言語学者の金田一京助氏に作曲を山田耕筰氏にお願いして出来上がりました。※校舎の写真は撮影年代不詳のものです。

創立10周年記念行事は10月12日から15日にかけ盛大に催され、校歌は初日の記念式典の席上、音楽部によって正式に披露されました。当初、新しい校歌は全学認知には程遠い有様でしたが、音楽教諭の稲生道男先生は校歌の普及に深い思い入れと、情熱、執念を抱いておられ、その後校内合唱コンクールを立ち上げ、課題曲の一つに校歌を歌うことを義務付け、昭和27年には第1回校内合唱コンクールが開催されました。以来、混声四部合唱で、叙情あふれる豊かな詩、難解ではある がしっとりとした美しい旋律を歌い上げ競い合うことが伝統となっています。(初演で指揮をされた高3期羽山忠良さんのお話から)

応援歌の誕生

創立15周年の翌年、昭和31年の新学期早々、学友会は応援歌を作ることを決議し、懸賞金を付けて在校生に呼びかけました。はじめ歌詞を募集し、その1席と2席に対して曲を募集しました。

1席に選ばれた歌詞「豊多摩の健児我等—–」とそれに付けて1席に選ばれた曲の作曲はともに当時2年生の石田幸久さんでした。石田さんは当時を振り返り、歌詞は国語の今坂晃先生の補作により出来上がったこと、曲は一晩で一気に書き上げたこと、頂いた賞金の額は忘れてしまったが、2年C組の同級生が喜んで祝福してくれ、そのお礼に運動具を買ってクラスに寄付した覚えがある、頂いた賞状の日付が昭和31年10月2日となっており、丁度50年という節目に忘れられた歌を皆さんに歌って頂けることはなによりもうれしい、と話して下さいました。

母校はどの競技でもインターハイで勝ち進むことが出来ず、折角の応援歌がまぼろしの存在になっていました。しかし、今年平成18年10月7日日比谷公会堂で開催される第14回東京校歌祭では豊多摩はトリを務める番になり、OB吹奏楽団をバックに校歌と共にこの応援歌を歌います。皆さんお誘い合わせの上お出掛け下さい。ご一緒に歌いましょう。

11期 山﨑彰

応援歌「豊多摩健児我等」

豊多摩にまつわるホント、逸話、うわさ話を硬軟とりまぜてお見せするコーナー「豊多摩なんでも堂」。みなさんからの情報もお待ちしております。

その昔、豊多摩に勇壮な応援歌があった。それは生徒自身が作詞作曲した応援歌。06年の東京校歌祭、吹奏楽部OB会の演奏で日比谷公会堂の舞台で蘇り、その後、母校でも数十年ぶりに復活。

作詞作曲をされた10期石田氏の了解を得ましたので、動画を再生頂ければ懐かしいメロディをお聴きいただけます。

※音声圧縮の関係で一部音声に歪みのある部分もございます。ご容赦ください。

11期 矢島

  • これを作った当時は、ホームページを通じて、応援歌が聴けるなんて想像もしませんでした。ご尽力頂いた皆様に感謝です。青春を取り戻すエネルギーとして活用していただければ、何よりも幸せです。(石田幸久)
  • いやあ、驚きました!昨日(2008.2.14)、石田さんにお会いして、母校の応援歌を作詞作曲した事などすっかり忘れていたのに、50年ぶりに思い出させて頂き感謝以外の何ものでもありませんでしたというお話をお聞きし、私も嬉しくなってしまい、早速、インターネットで調べた次第です。石田さん、今年は何か大変良いことが起きる前兆だと思いますよ。(ちなみに私は石田さんの単なるゴルフ、飲み友達です)(藤田訓弘)