1971年の豊多摩 校舎

昭和40年代の前半、昭和40年(1965年)11月から昭和45年(1970年)7月までの57ヶ月に渡り続いた好景気「いざなぎ景気」。所得水準の向上によって、エアコン(クーラー)の購入も増加し、車 (car)、エアコン (cooler)、カラーテレビ (color TV) が3C(新・三種の神器)と呼ばれるなど、消費も大きく伸び、ライフスタイルの変化をもたらしました。

この頃を境に豊多摩の姿も変わっていったようです。前回に続いて23期の大熊さんより提供頂いた写真をご紹介いたします。今回は「校舎」の中を数点の写真でご案内いたします。クリック頂ければ大きいサイズでご覧頂けます。前回の「銀杏並木となまけの森」「豊多摩の建物」と合わせてご覧ください。感想や思い出したことをコメントお願いします。

大熊さんからご提供頂いた写真を紹介するシリーズは今回で終了です。いかがだったでしょうか。豊多摩リンクスでは、皆さんからの写真提供のご連絡をお待ちしています。

校章と同窓会公式ロゴマーク

豊多摩の校章は「山桜に旭日」を組み合わせたものです。

江戸時代の国学者本居宣長が詠んだ「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」に由来する校章をもつ日比谷高校(旧制一中)内に、豊多摩高校の前身である旧制十三中が創立当時あった縁から、この豊多摩の校章にも「山桜に旭日」の組み合わせがデザインに活かされています。

校章校章はモノクロームの線画と思われている同窓生も多いと思います。しかし、昭和32年頃まで、校章をあしらった七宝焼き製の徽章があり、その「山桜」の部分が薄い青色もしくは茶色に染められていました。薄い青色の徽章は標準品であり、級長のみ茶色の「級長校章」を着用しました。色つきの徽章は遠目からも目立つため、他校の生徒から羨ましがられたそうです。こうした徽章は襟や胸につけるものでしたが、帽子につける「帽章」もありました。残念ながらその後、真鍮色のものにとって代わられ、色つきの校章を目にすることは無くなりました。なお、現在、こうした徽章類はないそうです。

豊多摩リンクス豊多摩同窓会では、会のロゴマーク公募し、選考の結果、高10期唐澤さんが提案くださったこの「山桜に旭日」の校章に英語で「同窓会」「豊多摩」をデザインしたものを2014年に公式ロゴマークに制定しています。公式ロゴマークの外周部左右に配した13枚の若葉は、豊多摩高の前身である十三中に因んだものであり、その意匠は『中』の字を模し、伝統を引き継いでいる事を表現しています。


この記事は、「豊多摩の校章」「同窓会のロゴマークが決まりました」を元に再構成したものです。校章についての想い出や情報はありませんか。ぜひコメントお願いします。

卒業年から確認できる年代早見表

自分は何期なのか迷ったら確認して下さい。多めに在学した人も迷わないように卒業年から確認できます。(卒業した3月時点の年です。年度基準ではありません。)

年代(期)卒業西暦年(和暦)できごと
中1期1945(20)年卒終戦
中2期1945(20)年卒終戦
中3期1947(22)年卒
中41948(23)年卒
高1期1949(24)年卒
高2期1950(25)年卒
高3期1951(26)年卒
高4期1952(27)年卒
高5期1953(28)年卒NHKテレビ放送開始
高6期1954(29)年卒
高7期1955(30)年卒
高8期1956(31)年卒
高9期1957(32)年卒
高10期1958(33)年卒東京タワー完工
高11期1959(34)年卒
高12期1960(35)年卒ダッコちゃんブーム
高13期1961(36)年卒
高14期1962(37)年卒キューバ危機
高15期1963(38)年卒
高16期1964(39)年卒東京オリンピック
高17期1965(40)年卒
高18期1966(41)年卒日本の総人口が1億突破
高19期1967(42)年卒
高20期1968(43)年卒三億円強奪事件
高21期1969(44)年卒
高22期1970(45)年卒大阪万国博覧会
高23期1971(46)年卒
高24期1972(47)年卒浅間山荘事件
高25期1973(48)年卒
高26期1974(49)年卒長嶋茂雄引退
高27期1975(50)年卒
高28期1976(51)年卒ロッキード事件
高29期1977(52)年卒
高30期1978(53)年卒第2次オイルショック
高31期1979(54)年卒
高32期1980(55)年卒イラン・イラク戦争
高33期1981(56)年卒
高34期1982(57)年卒
高35期1983(58)年卒ディズニーランド開園
高36期1984(59)年卒
高37期1985(60)年卒日航機墜落事故
高38期1986(61)年卒
高39期1987(62)年卒国鉄民営化
高40期1988(63)年卒
高41期1989(元)年卒ベルリンの壁崩壊
高42期1990(2)年卒
高43期1991(3)年卒湾岸戦争
高44期1992(4)年卒
高45期1993(5)年卒Jリーグ開幕
高46期1994(6)年卒
高47期1995(7)年卒阪神淡路大震災
高48期1996(8)年卒
高49期1997(9)年卒ダイアナ元妃事故死
高50期1998(10)年卒
高51期1999(11)年卒2000年問題
高52期2000(12)年卒
高53期2001(13)年卒911同時多発テロ
高54期2002(14)年卒
高55期2003(15)年卒
高56期2004(16)年卒
高57期2005(17)年卒
高58期2006(18)年卒
高59期2007(19)年卒
高60期2008(20)年卒
高61期2009(21)年卒
高62期2010(22)年卒
高63期2011(23)年卒東日本大震災
高64期2012(24)年卒
高65期2013(25)年卒
高66期2014(26)年卒
高67期2015(27)年卒
高68期2016(28)年卒

1971年の豊多摩 建物

大阪万博が開催された1970年。多くの人たちに科学の進歩が未来を拓くことを感じていたのではないでしょうか。万博開幕の同じ月。よど号ハイジャック事件が発生。日本中がその行方を固唾を呑んで見守りました。「…我々は明日のジョーである」と燃え尽きるまで闘った漫画の主人公になぞらえ声明文を残したハイジャック犯。奇しくも事件の最中、1970年4月1日、テレビアニメ版「あしたのジョー」第1話が放送されたそうです。

往時の豊多摩はどのようだったのでしょうか。前回の「銀杏並木となまけの森」に続いて23期の大熊さんより提供頂いた写真をご紹介いたします。今回は当時の生徒たちが学び過ごした「豊多摩の建物」をご案内いたします。クリック頂ければ大きいサイズでご覧頂けます。みなさんからのコメントもお待ちしております。

1971年の豊多摩 銀杏並木となまけの森

「カップラーメン」が誕生し、初代「仮面ライダー」がブラウン管(!)に登場した1971年(昭和46年)。「マクドナルド」がアメリカから日本上陸を果たし、そのアメリカが中国との国交回復を宣言し、日本を含めた世界の枠組みが動き始めた年。吉祥寺の「サンロード」が完成したのもこの頃。

往時の豊多摩はどのようだったのでしょうか。23期の大熊さんより多数の写真をご提供頂きました。今回は「銀杏並木となまけの森」をご案内いたします。クリック頂ければ大きいサイズでご覧頂けます。みなさんからのコメントもお待ちしております。


みなさんからの写真の提供もお待ちしております。詳しくはギャラリー写真の募集をご覧ください。 >豊多摩の建物編

豊多摩応援の絆「豊多摩PTAOB会総会」

oyaji20131211月2日吉祥寺で開かれた豊多摩PTAOB会の総会に招かれ、初参加した。この会は歴代の校長、教頭先生方を囲む集まりとして何と26年も続いているそうだ。

この日現職の先生方はあいにくご都合悪く欠席されたが、小堺、渡邉、起田の三先生をはじめ、OB会長と役員、現役PTAと「おやじの会」の 会長、同窓会藤井理事長、それに母校美化が縁となった園芸部OB会・どんこう会の面々など多彩な顔ふれ。なかでも渡邉先生は府立第二十中・都立武蔵丘高校の同窓会長をなさっており、同校の校歌祭 参加も是非ご検討頂きたいところだ。

報告事項など型どおりの総会に続き懇親会へ。元気のいい親父がいると思ったら同年輩だったりして、お母さん方もそれなりに飲まれていた。これを機会に豊多摩応援団としての絆を強めていきたいものだ。

ところでPTAと校歌は深い縁がある。

豊多摩の校歌祭推進役だった高3期故伊藤氏のご母堂も、当時の熱心な教育ママで校歌制定にも奔走され、母校近くにお住まいだった金田一耕介氏に作詞を何度も依頼されたそうだ。

昨今では母校のビッグイベントのひとつで校歌が課題曲になっている「合唱コンクール」で、わが子の煌びやかなステージ衣装を縫い上げるのが恒例になっている。来年11/1 杉並公会堂での校歌祭にはPTAとしても 参加を検討されることになったが、 同窓生諸君、保護者の方々にーなかには相当なご高齢の方もおられようがーPTAOB会が立派に継続していることを伝えて欲しい。そして親子で校歌祭参加へ!新しい親子関係が生まれるかも。

隣を見ていろいろ考えた「西高の夕べ」

11月24日「西高の夕べ」が杉並公会堂で開かれた。

これまで同所やセシオンでやっていたが、参加したのは初めて。来年の校歌祭が11/1 同所で開催されるので、二次会場も含めた下見を兼ねて,各校担当者と共に誘われたため。

このイベントは主催一般財団法人「西高会」。杉並区教育委と同校同窓会の後援で回を重ねて第20回。
地域との結びつきを強調して、毎回同窓生の講演とOB吹奏楽団の演奏で構成。

この回は日本サッカー協会小倉名誉会長がなでしこ優勝のビデオを交えながらのトーク。続いて「杉並から世界へ」と題したOBの演奏は世界へも影響を与え、杉並にゆかりがあるとした4曲。「ガンダム」は制作会社が上井草に。「ザラストエンペラー」は嵯峨侯爵邸跡地が杉並郷土博物館。公会堂予約が断然有利になる教育委後援を維持するためか、やや苦しげなこじ付けも。なかでも「ハウルの動く城・世界の約束」では宮崎駿監督は小学校の途中から永福町に住み、作詞を手掛けた谷川俊太郎氏は杉並で生まれ育ったと紹介されたが、豊多摩同窓生の「ト」の字もなかった。

ところで「西高会」はPTAと同窓会を主体として50余年前に財団を設立、3階建ての会館を所有。放課後19時半まで食堂を自習室として解放したり、クラブ活動の夏季合宿施設や地域住民にも利用されている。

はるか昔、わが同窓会にも母校隣接地の購入話があったそうだ。今では考えられない超安値、しかも当方基金はしっかり蓄えたまま。伝統的に”石橋をさすりながら渡らない”豊多摩同窓会としては当然のごとく見送りに。無論不動産維持管理は大変な手間で、山小屋を建設したばかりに苦労の絶えない学校がある一方、バブルの頃に売却して大儲けをし、現役の海外留学を後押ししている同窓会もある。西高同窓会では毎年25名の後輩たちに奨学金を支給しているそうだ。

校歌祭の参加人数と、この同窓会HPだけは西高を上回っていると自画自賛しているが、豊多摩応援団頑張ろう!