高橋道彦先生追悼文-高17期会員より

9月に発行した会報69号に、昨年逝去された高橋道彦先生の寄稿文と高17期の渡邉さんの追悼文を掲載しました。
渡邉さんから、さらにお伝えしたいことがまだあるということで補足的な文章をいただきました。
豊多摩リンクスへ掲載希望ということなので、そのようにいたします。

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高橋道彦先生を偲ぶ

平成26年8月31日

高17期E組  渡 邉  修

◇はじめに私が高橋道彦先生の訃報をお受けしてから早くも1年を経過した。
先生は、母校旧制中学4期生で昭和23年3月にご卒業、また昭和27年4月から40年3月までの13年間は教職員として母校に勤務された。私は先生が赴任されてから10年後の昭和37年に入学し、在校時は1年生の時には教科の「生物」でまた1年生から3年生までの3年間は「ホームルーム」の担任として多大のご指導を受けた。更に、卒業後のクラス会には開催の都度殆ど毎回ご出席いただき親しく接していただき、先生の「長年の教え子」と自負している。
そんなわけで、同窓会会報の編集部から先生の追悼文の執筆を依頼された時、遠慮して他の方にお願いすることもく即お受けしたが、制限された文字数では先生の思い出を語るにははるかに足りず、これを補うために当ホームページの場をお借りして下記を補充させていただく次第である。会報の追悼文と併せ読んで頂ければ幸甚である。

1.先ず感心したこと
教科の「生物」に使用する教科書の著者に先生のお名前が載っていたこと。
先生の大学時代の教師や友人等との共著であろうか、これまでの中学校時代にはなかった事で先生を偉い「学者」とお見受けした始めだった。
2.先生はホームルーム運営に非常に熱心だった
1年及びクラス替えのあった2年の最初のホームルームの時間に、先生はクラスのメンバーが何らかの役割分担を受け持つことをご提案。そしてクラスのメンバー全員が写真、新聞、記録、運動、コンパ、文集、歌集作成などの作業班に振り分けられ夫々がホームルーム活動に参加の体制を作るようご指導された。その結果クラスのまとまりが強化され、それが卒業して50年経過した今日でも継続している様に感じられる。
3.コンパの席で
在校生の頃は、校外でのクロスカントリーの後や学期の区切りごとにクラス内のコンパがとりおこなわれたが、この席で「デカンショ節」の替え歌で「先生 先生と威張るな先生 先生 生徒の成り上がり」と唄い出す者がいた。すると先生は「生徒 生徒と威張るな生徒 生徒   先生の飯の種」と返歌を唄われた。この時は先生のユーモアセンスを象徴する一場面で、我々生徒は全員唖然とさせられてしまったものだった。
4.先生はスピーチの達人だった
先生は、NHK教育テレビの「高校通信講座」にご出演され生物学の講義をされた時期があった。私も毎回のように拝聴したが、毎回相当緊張された面持ちであったが、ゆったりとした語り口でとても分かり易かった。
テレビ出演により訓練されたとおっしゃり、先生は指定された時間にピタリと合わせスピーチするのがお得意だった。特に卒業後のクラス会の席では、昭和53年から3年間教頭として赴任された都立小笠原高校での生活のお話しや、喜寿をお祝いしたクラス会の時にはお孫さんが「禿げツルじいちゃん」と唄いながら訪れてきて、同行のご長男の奥さんが困ったような顔をしていたなどというお話を身振り手振り入りで、嬉しそうにしかも簡潔に幹事の指定した時間にピタリと収めお話しされたのが今でも忘れられない。

以上

渡邉さん、ありがとうございました。高橋道彦先生の思い出がある方はとても多いと思います。そのような思いがある方はぜひメールをお寄せください。(ホームページ委員会)


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投稿者: 編集部

高36期 理事です。