校名の由来と校歌が出来た経緯

豊多摩高校は昭和15年府立第13中学校として府立第1中学校(現日比谷高校)内に併設され発足、昭和17年現在の地に新校舎が落成し、誕生しました。昭和24年ナンバースクール制が廃止された折に校名を豊多摩と制定したのですが、明治時代に現在の杉並、中野、渋谷区の全域と新宿、世田谷区の一部が含まれる広大な地域を豊多摩郡と称していたことに因んで命名されました。 (豊多摩50年史より)

image昭和25年、創立10周年を迎えるに当たって、それまで校歌として認知された曲はなかったのでこの機会に校歌を作ろうとの機運が教職員、生徒、父兄の間で盛り上がり、作詞を言語学者の金田一京助氏に作曲を山田耕筰氏にお願いして出来上がりました。※校舎の写真は撮影年代不詳のものです。

創立10周年記念行事は10月12日から15日にかけ盛大に催され、校歌は初日の記念式典の席上、音楽部によって正式に披露されました。当初、新しい校歌は全学認知には程遠い有様でしたが、音楽教諭の稲生道男先生は校歌の普及に深い思い入れと、情熱、執念を抱いておられ、その後校内合唱コンクールを立ち上げ、課題曲の一つに校歌を歌うことを義務付け、昭和27年には第1回校内合唱コンクールが開催されました。以来、混声四部合唱で、叙情あふれる豊かな詩、難解ではある がしっとりとした美しい旋律を歌い上げ競い合うことが伝統となっています。(初演で指揮をされた高3期羽山忠良さんのお話から)

応援歌の誕生

創立15周年の翌年、昭和31年の新学期早々、学友会は応援歌を作ることを決議し、懸賞金を付けて在校生に呼びかけました。はじめ歌詞を募集し、その1席と2席に対して曲を募集しました。

1席に選ばれた歌詞「豊多摩の健児我等—–」とそれに付けて1席に選ばれた曲の作曲はともに当時2年生の石田幸久さんでした。石田さんは当時を振り返り、歌詞は国語の今坂晃先生の補作により出来上がったこと、曲は一晩で一気に書き上げたこと、頂いた賞金の額は忘れてしまったが、2年C組の同級生が喜んで祝福してくれ、そのお礼に運動具を買ってクラスに寄付した覚えがある、頂いた賞状の日付が昭和31年10月2日となっており、丁度50年という節目に忘れられた歌を皆さんに歌って頂けることはなによりもうれしい、と話して下さいました。

母校はどの競技でもインターハイで勝ち進むことが出来ず、折角の応援歌がまぼろしの存在になっていました。しかし、今年平成18年10月7日日比谷公会堂で開催される第14回東京校歌祭では豊多摩はトリを務める番になり、OB吹奏楽団をバックに校歌と共にこの応援歌を歌います。皆さんお誘い合わせの上お出掛け下さい。ご一緒に歌いましょう。

11期 山﨑彰

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